人間だけにあるもの、それは、ひめごと<斜陽>より、
芥川龍之介に憧れ、川端康成と大喧嘩し、<人間失格>で自分自身を曝け出し・・・一体、太宰治とは・・・
太宰治=本名:津川修治は青森の政治家の家に生まれる。そこで11人兄弟の10番目6男の太宰は文学にのめり込む。憧れたのは芥川龍之介、・・・そして芥川の写真をまねたポーズで写真も撮る。
東京大に入学をした芥川は、当時流行し始めた作家を目指す。そこで、花柳界に身を入れ、女と同棲し、それが実家にバレて、勘当され、それに悲嘆した太宰は女と心中事件を起こし、自分だけが生き残るという挫折を味わう。
その後、昭和10年、第一回芥川賞に応募する。その際の選考者であった川端康成が、太宰の私生活を理由に太宰を落選させる。それに憤慨した太宰は第二回芥川賞を目指す。佐藤春夫も太宰へ激励文を送る。
しかし、第二回芥川賞も落選。太宰は、薬物に逃れる。そして、川端康成に受賞の懇願の願い文を出す。
そして第三回芥川賞では、過去の候補者は選考しないという規約のもと、また薬物に逃れる。
ちなみに、太宰の実家は青森で四番目の資産家で、今は「斜陽館」という観光名所になっている。太宰は、この実家に認められたいがために、芥川賞をなんとしてでも欲しかったのだとも言われている。
昭和14年1月8日、太宰30歳の時、結婚する。そして規則正しい生活へと変ってゆく。そして、夫人に書き取りをさせる、口述筆記という文体を作り上げる。
その後、戦争へ。周囲が戦争文学に走る中、太宰は「御伽草子」などユーモラスな作品へと走る。
しかし、4度の自殺未遂や、心中事件で死亡させた女性や、同棲していた内縁の妻を捨てた事、薬物にのめり込んでこしらえた友人への借金などが、太宰の心の中を苦しめ続けます。そして、戦争敗戦後で、日本が民主主義へと意向していく中、作家として自分にも戦争責任がある事を悲嘆し、名作「斜陽」をもって、訴えかけます。
恥の多い人生をおくってきました<人間失格>太宰は、このように書き出します。そして、女性を囲い、酒に溺れ、破滅的な生活をして家庭を壊しながら、「人間失格」を書き続けます。罪の自覚をするためだと言います。
もうすぐ6月19日、太宰生誕100年です。








